ミッチェル図書館の成立と、ミッチェル図書館所蔵モリソン文庫

  The Mitchell Library @Macquarie Street 州立図書館、Public Libraryの建物の向かって右半分を占めているが、別個のもの。

1.日記 1878年16歳から(暫定目録による日記の分類は錯雑している。何らかの事情で所定の場所以外のところに紛れ込んだものもある。雄勁美麗な筆跡のため難解)
1878、1879、1880、(欠81-82) 1883、(欠84-86) 1887、(欠88) 1889、1896?、1890、(欠91-97) 1898-99、1899、1900、1901、1902、1903、1904、1905、1906、1907、1908、1909、1910、1911、1912、1913、1914、1915、1916、1917、1918、1919、1920 Capperは1899-1900の分を転写し、巻首に簡単な序論をつけ、本文に簡単な脚注をつけた。転写原稿は3部つくられ、その中2部はモリソン文書中に現存する。 1901-1910までのレジュメを作成(現存は1904と1906を欠く) 欠本は文書の他の部分にまぎれている可能性もある。

2.回想録
Capper文書の中にReminiscencesと題する残欠の原稿がある。タイプライターで打たれ、p1からp129まであるが、pp.39-57が欠けている。 1899年1月以降は日記がある。 1897、1899の記録は不十分だと自分で述べる。 回想録の現存の原稿が書かれたのは1911~1912で、モリソンが夫人に口述したものである。

3.ファイル(140ぐらいの項目について関係資料を蒐集)
 書籍からの切り抜き、手紙、文書、記録、自身の覚書、日記を引き裂いたものが挟み込んである。擾乱される以前にミッチェル図書館で作成と思われる内容目録がある。目録番号は129~162号。137号は袋だけあって、中身がない。別のファイルに置かれているものもある。

4.書簡(もっとも分量が多い)
 122-126(1900-07)  163-191(184-191はモリソン夫人および母君の手紙を入れてある)  他の年の書簡が混入  ・中国の政治・外交等に関する問題、
 ・個人(主としてヨーロッパ人)の就職依頼、(1917、約400人のドイツ人の失業)
 ・輸出入に関する問い合わせ
 ・大統領からの呼び出し状、民国初期の政治史に関する資料が多い、蔡廷幹との往復書簡(貴重)
 ・他の外国人顧問との往復文書、支那学者との交渉

5.新聞切り抜き
 1-45(1896-1915)、46-55、163(書簡と切り抜き)、219-225(新聞の切り抜き)、233-241(新聞)
*226-232、246-255 雑誌と雑誌からの切り抜き

6.その他
1)学生時代のノートブック、金銭出納帳の類(56-57)
2)旅行記および旅行記の校正刷(120)、1896、1910の旅行に関する覚書、1895刊行のAn Australian in Chinaの校正刷。
3)電報(121)
4)モリソン文庫目録(127、197)
  127は1907年のもの
  197は現物確認できず、おそらく1917年作成のもので、文庫を岩崎氏に譲渡するときに日本に送られたものと同じであろう。
5)モリソンの遺言書、パスポート、卒業証書、学位免状、遺髪、中華民国政府から贈られた勲章(193)、聖書(193および242-243)、遺物・勲章(195)
6)紹介状(196)名刺類(198、199-200)
7)スケッチ(201)写真ポスター類(202-218)
*写真は中国内地、東南アジア、中央アジアで撮影したものが多い。
*スケッチは未確認
8)中国の文書、京報類、申報、時報
 奴隷売買文書、土地および家屋売買文書など
 京報は義和団事変当時のものがほぼそろっている。


(出典)榎 一雄「ミッチェル図書館所蔵のモリソン文書について」(『東洋文庫書報』、1970)

* モリソン略歴・世界旅行

* 東洋文庫関連の人物

* モリソンの各国への滞在記録

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