MA一同: こんにちは♪♪
本日は父の日ですね☆
普段は忙しいお父さんもご家族といっしょに素敵な日をお過ごしのことでしょう~♪
感謝の意を込めて何かプレゼントをご準備されているのでしょうか?
MAはどのようなプレゼントを準備したのでしょうか♪♪
聴いてみましょう~☆
ジェイは・・・
父の誕生日が父の日に近く、今年還暦!!なので、ポー●スミ●とバーバ●―の赤いパンツ(×2)とアクアス●ュー●ムのえんじ色ネクタイです。赤系で統一しました(パンツは本当に真っ赤なので、着てくれるか心配・・・)
みゃもは・・・
部屋着に使えるハーフパンツをあげました!紺地に小さなピンク色のP●LOのマークが入っていて一目ぼれしたのでした(笑)私が欲しい(笑)あと、毎年カードも送っています。
くったん・・・
父はこだわりのある人だから、勝手に買うとおこられるんよね~ww(笑)
今年は就職が決まったので、大阪の実家に帰ったときに❤奮発❤して
御馳走連れて行ってあげよーと思います(^s^)b...あと、肩もみかな!!
かおりん・・・
すばり!Gパン(最近はデニムっていうのが流行りなのかな・・・)!!
中学か高校時代にもプレゼントしそれを未だに履いてくれているのですが...
破れた部分を母に縫ってもらったり、パッチワークのように布をあてたりして履いているので、見かねてプレゼントしました♡
MAそれぞれの想いとどくと良いなあ
東洋文庫内も、父と子の「絆!?」を感じることのできる展示がいくつもございます♪
まずはこちら!広開土王(父)と長寿王(子)です。
『広開土王碑拓本』
広開土王(好太王)は、朝鮮半島北部から中国東北部にかけて存在した高句麗の第19代国王で、391年から412年にかけて在位し活躍しました。
この碑文は、広開土王の没後(414年)に、息子の長寿王が、父の功績をたたえるために建立した石碑なのです。
現在は、
・ 中国吉林省集安市の太王陵の近くにあり、
・ 高さ約6.4メートル、
・ 凝灰岩で造られた不整形の方柱で、
・ 四面に訳1800文字が刻まれています。
父の偉大さを後世に語り継ごうとする息子の想いが感じられますね☆
現代では思いつかないBIGなプレゼントですね~
むしろ、お父さんが自身の偉大さを自費出版してしまうかもしれません(笑)
お次はこちら! 鄭芝龍(父)と鄭成功(子)のお話!!
鄭芝龍 鄭成功
新井白石『遺書』より 『國姓爺忠義傳』より
鄭成功は、明朝の亡命遺臣で福建出身の商人・海賊の鄭芝龍(中国人)と肥前平戸の田川マツ(日本人)の子供!
・ 父と子はともに清朝によって滅ぼされた明朝側の将軍として戦いますが、
その戦いの途中で、
・ 父が清朝に投降します。この時、親子は永遠の別れを告げるのです。
親子喧嘩はするものです!
「ごめんね」の一言が言えないんですよね・・・
しかし鄭芝龍と鄭成功のように永遠の別れとなってしまうのはイヤ!!
その魔法の一言、素直に言えるようにないたいものです☆
お次はこちら! 雍正帝(父)と乾隆帝(子)!!
乾隆帝
雍正帝は清朝第5代皇帝、その子乾隆帝は第6代皇帝で、その在位期間、実に様々な政策を試みました。
・ 雍正帝はその政治に対する姿勢から、恐怖政治とみなされることもございます。
しかし本当に単なる「恐怖政治」だったのでしょうか?こんな風にも考えられないでしょうか?
雍正帝はかなりの勤勉家であったようです。
例えば、硃批諭旨です。地方官から皇帝に「私的」に送られてくる奏摺という報告書に、一つ一つ目を通し、全て雍正帝自ら、朱い墨のコメントを記すというシステムを考えます。これを使って、地方政治の実状を掌握し、地方官に対する管理体制を強化しようとしたのですが、一日4時間の睡眠、目から血が出るほど勉強家だったようです。
何故そこまで、一生懸命に政治を行ったのでしょうか?
自身の皇帝としての正当性を示そうとしたということもあると思います。
また、
次の皇帝=自分の息子が治める世の泰平を望んでいたのかもしれません。
父親の偉大さというのは、こうした場面でも現れているのかもしれません☆
乾隆帝も、父に倣い硃批諭旨を採用した政治を行います。
子も父に見倣うところは見倣い、改善できる点があれば改善する!
素敵な親子ですね~
MAから世のお父さんへ
ひとりの父親は、百人の教師に勝る