エルトゥールル号事件

皆さまこんにちは!
日が暮れるのがめっきり早くなってきましたね…。
季節を問わず、東洋文庫はいつでも皆さまをお待ちしております!

突然ですが、皆さんは「東洋」というとどこまでをイメージしますか?
どんどん考えていくと、ふと「トルコって東洋・・・?西洋・・・?」と迷う方も多いかもしれません。
今日はそんなトルコについてのお話です。

実はトルコは、大変な親日国で有名です。
先日2020年のオリンピック開催地に東京が決まった際も、国のツイートトレンドになるほど喜んでくれました。
そんなトルコと日本、素敵なエピソードは数ありますが、そのきっかけとなったエルトゥールル号事件はご存知でしょうか。

1887 年明治天皇の甥にあたる小松宮彰仁親王殿下、同妃殿下がイスタンブルを訪問した際に、アブドュルハミト 2 世は明治天皇より勲章を賜り、それに対し日本に答礼使節を派遣することを命じました。この使節に選ばれたのが、イスタンブルの造船所で建造された軍艦エルトゥールル号です。

エルトゥールル号は 1889 年 7 月にイスタンブルを出航。様々な港に寄港しながら航海を続け、出航より 11 ヶ月後の 1890 年 6 月 7 日に横浜港へ到着しました。
明治天皇はトルコの提督を歓迎し、民衆はトルコの提督が馬車で引見に向かうのに親愛の情を示しつつ見送ったそうです。また、日本の海に停泊している 3 ヶ月の間、エルトゥールル号では周囲の何千もの日本の舟に 50 人編成の楽団によるコンサートがおこなわれたりもしたそうです。

そしてついに出航する日がやってきましたが、その時日本には台風が近づいていました。日本海軍は出航の延期を勧めましたが、これにもかかわらずエルトゥールル号は予定通り 1890 年 9 月 15 日に横浜港より出航しました。そして、串本近海で台風につかまったエルトゥールル号は 1890 年 9 月 16 日に岩礁に衝突、沈没してしまったのです。遭難事故で助かったのはわずかに 69 人であり、オスマン提督を含むその他の乗組員は犠牲となりました。

事件はこのように悲しいものですが、被害者の救済にあたり、地域の住民が親身になって介抱したことが、その後のトルコと日本の友好関係の契機となりました。
山田寅次郎という人物は犠牲者とその家族たちに送る義捐金を募り、その義援金はその後、ときのオスマン帝国のスルタンに手渡されました。また、一命を取り留めた 69 人の乗組員たちは明治天皇の意向により、「比叡」と「金剛」の両軍艦でイスタンブルまで送り届けられました。
なお、この事故における犠牲者たちを悼み、串本では慰霊塔が建設されました。1929 年 6 月 3 日には昭和天皇が行幸し、1937 年にトルコによって改装されて、以降毎年慰霊祭がとり行われています。
ちなみに、串本町はトルコのメルシン市とヤカケント町と姉妹都市となっています!
(参考:トルコ大使館HPより)

そんなエルトゥールル号事件についての展示が、今月19日までトルコ共和国大使館で開催されています。
トルコに旅行したくてたまらないらっこも、先日行ってまいりました!貴重な展示品が見学できたのはもちろん、普段なかなか行くことのない大使館の門をくぐることができたのも、素敵な経験でした。
トルコの地図も頂いてきたので、日々眺めてはいつか旅行に行く日に想いを馳せております(*`・ω・´*)ほくほく

最終日がせまっておりますので、ご興味を持たれた皆さんは、どうぞお早めに!!
そして、大使館のある原宿から我らが駒込までは、山手線で約20分となっております。
そのままどうぞ東洋文庫もご贔屓に!!笑

MAらっこ

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