そーかい、そーかい (/´θ`)/

みなさま、こんにちは!
MAぴぴです。

昨日はびっくりいたしましたね!
地震!
ぴぴは揺れた瞬間思わず飛び上がりました。
ぴぴ家のワンコやニャンコもびっくりしていました。


さてさて、
東洋文庫ミュージアムがオープンした年は、あの東日本大震災のあった年と同じだったためか、
モリソン書庫にてお客様から
「ここは、地震対策はどうしてるの?本が落ちてきちゃったりしないの?」
といった質問をよく受けたものですが、
実はそれ以外にももう1点よく質問を受ける事柄がございます。
本日は、それについてお答えしたいと思います。


その質問とはズバリ!
「東洋文庫は戦時中空襲の被害にあったりしなかったの?」
「本を疎開させたりしていたの?」
といった質問です。


はい。お答えいたします。
東洋文庫の蔵書は1945年から、宮城県の旧中新田町と旧小野田町に疎開しておりました。
戦争も終盤に差しかかった1945年、東京への空襲も増えてきたことを受け、5月に緊急理事会が開かれ、
宮城県と新潟県に蔵書全体を疎開することが決定されました。
宮城県には435,000冊、18トン貨車のべ15両分にも及ぶ蔵書が移送されたそうです。
一方の新潟県分は、その準備中に終戦を迎えたことから疎開は中止されたとか・・・。
幸い、この東洋文庫(東京・駒込)は空襲の被害を受けることなく無事であったということですが、
きっと運が良かったのでしょう。

宮城県に移送された蔵書は、現地の数多くの人々の協力を経て4年もの間守られていたそうです。
財政難や財閥解体などなど、戦後の東京の東洋文庫には困難が多かったようですが、
当時宮城においてご尽力並びにご協力下さった方々のお陰で、現在も貴重な資料をみなさまにご覧いただけているというわけなのです。

戦火はもとより、湿気や水害、虫・動物などによる被害からも貴重な資料を守らなければならなかったのですから、きっと想像もできないくらい大変なことだったのでしょうね。
なんといっても財政難&戦後の混乱ですからね。。
・・・大変有難いことです。


みなさまも東洋文庫で展示や資料をご覧になる際には、そんな困難をくぐり抜けてきた子たちなのね・・・と思いを馳せて接していただければ幸いです。

ぴぴはもう思わず頬ずりしたくなるくらいの気持ちで東洋文庫の本たちを見つめております。
るるるる・・・(-ω-*(-ω-*)


MAぴぴ

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