毎日、暑い日が続いていますね・・・!
かおりんは、室内との温度差にやられてしまい、少々風邪気味です。。。
皆さま、お風邪などひかれませんように元気にお過ごしくださいませ。
現在、トルコ展を開催しておりますが、その他にも見どころ満載となっております!
例えば、モリソン書庫!!!
『世界を旅した日本人』をテーマに、1586年にヨーロッパに渡った天正遣欧使節団の記録や、明治時代に中央アジア、インドへと旅をした大谷探検隊まで約300年間の日本人による旅行、冒険などに関する史料を展示しています。
本日は、その中から、ジョン万次郎に関連する展示品を2つご紹介いたします!!
ジョン万次郎と言えば、アメリカに渡ったことで大変有名ですが、そもそもなぜアメリカに渡ったかといいますと、
1841年正月5日、伝蔵ら3人と近海に漁に出たのですが、暴風に遭い、鳥島に漂着。
半年後、アメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイに渡ります。
ハワイで伝蔵らと別れてアメリカに赴いた万次郎は、捕鯨船や鉱山で働き、お金を貯め、ハワイに戻ります。
こういう経緯があったわけです。
そんな万次郎の漂流談を聞き書きしたものが、こちら!
『難船人帰朝記事』
現在は、アルファベットの読み方について記されているページを展示しています。
そして、『ライマン・ホームズ航海日誌』にも万次郎一行についての記事が見受けられます!
1841年6月28日の記事によれば、万次郎一行が救出された時の様子が記されています。日誌によれば、
「午後1時、2隻のボートを下ろし岸辺に海亀を探しに行く。3時にボートが戻ってきた。5人の中国人か日本人を連れて帰った。難船して、この島に漂着したということだった。」
といいます。
その後、1851年、琉球に上陸し鹿児島経由で長崎に送られ尋問を受けると、翌年、高知に帰着。
万次郎は土佐藩で英学を教えたり、咸臨丸に通訳として乗船するなど幕末期の外交に寄与しました。
鎖国の時代に、広い世界肌で感じることができた万次郎!一度、お会いしてお話を伺ってみたかったなぁ。。。
かおりんは、室内との温度差にやられてしまい、少々風邪気味です。。。
皆さま、お風邪などひかれませんように元気にお過ごしくださいませ。
現在、トルコ展を開催しておりますが、その他にも見どころ満載となっております!
例えば、モリソン書庫!!!
『世界を旅した日本人』をテーマに、1586年にヨーロッパに渡った天正遣欧使節団の記録や、明治時代に中央アジア、インドへと旅をした大谷探検隊まで約300年間の日本人による旅行、冒険などに関する史料を展示しています。
本日は、その中から、ジョン万次郎に関連する展示品を2つご紹介いたします!!
ジョン万次郎と言えば、アメリカに渡ったことで大変有名ですが、そもそもなぜアメリカに渡ったかといいますと、
1841年正月5日、伝蔵ら3人と近海に漁に出たのですが、暴風に遭い、鳥島に漂着。
半年後、アメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイに渡ります。
ハワイで伝蔵らと別れてアメリカに赴いた万次郎は、捕鯨船や鉱山で働き、お金を貯め、ハワイに戻ります。
こういう経緯があったわけです。
そんな万次郎の漂流談を聞き書きしたものが、こちら!
『難船人帰朝記事』
現在は、アルファベットの読み方について記されているページを展示しています。
そして、『ライマン・ホームズ航海日誌』にも万次郎一行についての記事が見受けられます!
1841年6月28日の記事によれば、万次郎一行が救出された時の様子が記されています。日誌によれば、
「午後1時、2隻のボートを下ろし岸辺に海亀を探しに行く。3時にボートが戻ってきた。5人の中国人か日本人を連れて帰った。難船して、この島に漂着したということだった。」
といいます。
その後、1851年、琉球に上陸し鹿児島経由で長崎に送られ尋問を受けると、翌年、高知に帰着。
万次郎は土佐藩で英学を教えたり、咸臨丸に通訳として乗船するなど幕末期の外交に寄与しました。
鎖国の時代に、広い世界肌で感じることができた万次郎!一度、お会いしてお話を伺ってみたかったなぁ。。。