小旅行@箱根

みなさまこんにちは。MAねたろうです。良い週末をお過ごしでしょうか。
ここんところおしゃべりがひどくなってしまって、頻繁にブログにお喋りを投稿していますが、「またこいつかよ」と思わずにお付き合い下さいませ。

さて、先日ねたろうはちょこっと西の方に旅行に行きました。箱根です。一泊だったのですが、温泉に3回も入って、美味しいすき焼きとお決まりの酒宴を楽しんできました。ねたろうは年寄りなので、11時半にはおねんねの時間が来てしまいましたが。

行きと帰りに色んな施設を訪問したのですが、その一つをご紹介します。金沢文庫と称名寺です。
金沢文庫と言えば神奈川県民であるねたろうは小学校で覚えさせられたのですが、がきんちょのときに「かなざわ◯んこ」と呼んでふざけているうちに歴史ある地名であることを忘れ、金沢で見られると言われた瀟湘八景のことを自由研究で調べたのに何一つ覚えていないあの有名な「金沢文庫」です。
今回の見学も全くの不勉強で望んだのですが、予想外に面白いところで勉強していけばよかったと後悔しました。。。簡単に歴史を説明すると、鎌倉時代の執権を担っていた北条家の一氏族である金沢北条氏が作った文庫で、鎌倉幕府滅亡とともに金沢北条氏も絶えたため存続の危機を迎えましたが、隣の称名寺によって管理が担われ、現在まで残ることができました。
もともとの金沢文庫本は、戦国から明治に至るまでの時の中で、財産として様々な家々に持ちだされて散逸してしまい、現在残っているものは一部に過ぎず、多くが称名寺のものとして管理されていたものだそうです。なので、仏画や仏具、仏教や思想関係の書物が多いのです。面白いのは、北条家の書簡が多く残っていること。北条家はかなりのお金持ちだったようで、書簡のやりとりにも非常に上質の紙を使っていたのだとか。当時は紙が貴重なので、北条家で使い終わった紙を称名寺の方でリサイクルして、裏にお経を描いたり書簡としてもう一度利用したり、包み紙として使ったりしたのだそうです。お寺のものは持ち出すと罰当たりなので、それらが散逸せずに残った、というのが現在残っている古文書群となっているそうです。お寺があるとこんないいこともあるんですね。

称名寺は最盛期には100人規模のお坊さんを抱える巨大な組織だったそうです。解説のお姉さんは「総合大学」とご説明くださいました。どういうことかというと、当時の学問は中国からくるものがほとんどで、漢語が読めないといけなかったのですが、お坊さんはお経を読むために漢語が読めたため、お寺が学問の中心だったのです。お寺には石工さんなどもいて建築学も盛んでしたし、中国から入る医学書も研究され、薬学も盛んでした。それ以外にも、お寺のネットワークを通じて上方の政治情勢が研究されたり、上流階級の文化も学ばれていました。
鎌倉幕府が滅亡したあとも、大規模なお寺が存続したのは、金沢の地が港だったからだそうです。中世における関東地方の玄関口であった金沢には、裕福な商人のお家がたくさんあって、称名寺は多くの寄進によって成り立っていたそうです。金沢文庫が存続できたのも立地のおかげだったのですね。



(写真とるの忘れちゃったので、wikiからお借りします(;´Д`))

称名寺がとてもお金持ちだったというのは、その庭園や建築を見ても実感できます。称名寺はもともと密教のお寺さんだったそうで、浄土曼荼羅に沿って伽藍配置が決められたそうなのですが、平等院と同じ浄土式庭園は金堂と橋、水面の配置がバランスがとても良いのです。また庭園を池の畔から眺める岸が作られているのですが、そこから金堂を見ると、その屋根の大きさ・ラインとその後ろの山のラインとの素晴らしい調和が見てとれます。かなり腕の良い庭園設計士がはいったのでしょうか、とても贅沢な眺めを楽しみました。
ちなみに、当東洋文庫にも所蔵されている国宝『文選集注』が、この金沢文庫にも所蔵されています。こんなところで親しみを感じてしまったねたろうでした。

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