討ち入りの図

青葉若葉が目にしみる季節になってきましたね。新学期が始まって早くもひと月。疲れが出始める今日この頃。この連休、「ゆっくり過ごしている!」という方も多いのではないでしょうか?!
私もその一人。ガーデニング好きの母を手伝い、夏に咲くお花の球根を植えるなど、ゆっくり過ごしています。

今回植えたのは、グラジオラス、ゼフィランサス、リアトリス、ハブランサス、アシダンテラ。
早く大きくならないかな〜。綺麗な花を咲かせてね〜。ちゃんと育つかな〜。そんな不安や期待を込めて。。。


   
   


お写真はどれも(http://www.yasashi.info/index.html)より引用しました。




さて、本日は「赤穂浪士討ち入りの図」をご紹介いたします。





元禄15年12月14日(1702年1月30日)に、大石内蔵助や堀部安兵衛ら旧赤穂藩士46名が、主君浅野内匠頭の仇を討つために吉良上野介邸(現在の東京都墨田区)を襲撃している様子
討ち入り後、義士たちは沙汰が下るまでの間、肥後熊本藩細川家・長門府中(長府)藩毛利家・三河岡崎藩水野家・伊予松山藩松平家の四大名家にお預けとなりました。中には、義士たちの忠義を深く賞賛し、厚遇を持って接した大名もいたといいます。



この図がなぜ儒教展でお披露目されているのかと申しますと、
当時、討ち入りは単に仇討ちというだけでなく、非常に複雑な問題として捉えられていました。
事件直後から、討ち入りが「義」にあたるか、吉良を仇と看做すかどうか、さらにはその動機についてなど、その是非をめぐって儒学者を中心に論争が起こりました。当時、「仇討ち」というのは、子が親の仇を討つなど目上の親族のために復讐することを指していました。主君の仇を討ったのは、今回が初めてであったため、これが問題になったというわけです。
この問題は、武士の生き方や幕藩制度の構造とも深く関わるものだったため、長きに亘って論争が繰り広げられました。



合戦絵や武者絵を得意とした歌川芳員の作品だけあって、躍動感溢れる構図になっていますので、是非この機会に東洋文庫ミュージアムにお越し下さい。

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