金榜

今年3月、初めて歌舞伎鑑賞をしまして、それ以来、すっかりハマってしまいました!!そんな私に朗報が舞い込んできました!!なんと、7月大歌舞伎で「柳影澤蛍火」「柳澤騒動」が上演されると言います。柳澤というのは、五代将軍徳川綱吉時代の側近で、この辺りにお屋敷を所有していた柳澤吉保。観ないわけにはいきません( *´艸`) 楽しみです♪♪


さて、本日も科挙答案のお話♡

4回目の本日は、「金榜」について!!

金榜というのは、実は2つの意味があるのです。

一つは、この答案の作成者。
彼は、江南徽州府歙県(現在の安徽省)出身で、清代の乾隆37(1772)年の殿試において「第一甲第一名進士」に合格した人物。
官僚の採用試験にトップ合格したわけですが、いったい、何歳の時に試験をパスしたのでしょうか?!
1735年生まれですから、37歳で合格を得ていたことになります!!
宮崎市定大先生によれば、殿試の合格者の平均年齢は、概ね36歳前後だったとか。もちろん、中には70歳を過ぎてから合格できた例もあったそうですし、そもそも大多数は一生をかけても合格できず、経済的理由から受験を断念したり、失意のあまり自殺するという悲話も。
科挙試験に合格することがどれほど大変なことであったか想像できます。

ちなみに、金榜とは時代が違いますが、
朱子学を体系化させた中国宋代の儒学者 朱熹は19歳の時に科挙に合格したそうです。
朱熹が作成した答案も拝見したいものです。


「金榜」には、2つの意味があると言いましたが、
もう一つは、殿試の結果を発表する掲示板。
「黄榜」とも言われるのですが、黄色い紙に書かれたことからその名が付けられました。

こんな感じ↓


皇帝名義で公表されたので、「奉天承運、皇帝制曰」で始まり、「故茲誥示」で終ります。
正に黄金の掲示板!!



金榜(掲示板)に金榜(人名)の名前が書かれた時、当時の人々はどんな反応をしたのでしょうか?!驚きや歓声、笑いがあったのではないでしょうか?!

最近のブログ記事