安心と挑戦と自由

こんにちは!
MAばんりです。

皆さまは「儒教」というものに対しどのような印象を持っていらっしゃいますか?

しばしば日本人は「無宗教」であると言われますが、実は儒教がいちばん日本人にとって日常生活に密着した宗教なのかもしれません。

目上の人を尊敬する、徳の高いリーダーになる、家族を大切にする。
このような儒教の教え(をかなり単純化したもの)からもわかるように、日本における儒教は宗教というより社会規範や行動様式を示すもの、いわば「道徳の教科書」として普及してきました。心の持ちようだけでなく、冠婚葬祭やお辞儀の仕方まで規定しているという点で、社会生活全般の規範の一部を構成しているということができます。

では、近隣の中国や韓国にとって儒教は宗教なのでしょうか?
と考えてみると、そもそも宗教って何でしょう?という疑問にぶち当たります。


宗教とはなにかという問題に深入りするときりがないので置いておいて、宗教と呼ばれるものが社会規範を兼ねるのは儒教に限ったことではありません。

最後の審判のときイエスに救ってもらうためにはキリスト教の説く隣人愛を実践しなければいけませんし、ヒンドゥー教の教えにしたがって最終的な解脱を目指すためには牛を食べてはいけないといった決まりがあります。

規範を守るとどんないいことがあるでしょうか。もちろん決まりに縛られて窮屈だなあと思うこともあるはずです。しかし規範を守っている限り、「道を外れている」と否定されることはほぼないでしょう。
規範は安心を与えますが、規範は世界にたった一つではありません。多様な宗教がそれを信じる人々の心を支えているのです。


(現代の日本人が無宗教だと言われる原因の一つに、日本社会は安心を与えるシステムが高度に発達しており(=比較的安定した雇用形態、ある程度までは平等な教育水準など。このような安定も最近は崩壊しつつありますが…)、安心のよりどころを宗教に求める必要がないということがあげられるのではないでしょうか。もちろん、もともと多神教であるということも宗教的寛容さの一因ではあると思いますが。)


そして安心があるからこそ人は挑戦することができます。日々不安なことだらけなのに、失敗するリスクをとってまで新しいなにかに挑戦することはできません。

ある宗教を否定することは、それを信じる人の安心、さらには挑戦の機会を奪うことになってしまいます。
挑戦することは、自分が今までいた枠の中からはなたれ、自由になることです。宗教を含め、異なる価値観を受け入れる努力によって、世界中の人たちが本当に自由を得ることができるのだと思います。



私は今年の夏から研究のため一年間ほど日本を離れるため、本日が最後のお仕事になります。
生まれてこの方ずっと日本で暮らしてきましたし、海外旅行もほとんどしたことがありません。留学という挑戦に踏み出すことができたのは、私の周りの方々がたくさんの安心を与えてくださったからです。

東洋文庫ミュージアムには、一生懸命仕事をすればその努力を認めてくださるスタッフの方々、悩みや気になることを気軽に相談できるアテンダントのみなさま、決してアクセスのよくないこのミュージアムにご来館し、当館のサービスを真摯に受け止めてくださるお客様がいらっしゃいました。私を含むアテンダントの取り組みに反応しご意見をくださる方々がいらっしゃるということが何よりの励みでした。心より御礼申し上げます。

東洋文庫ミュージアムは東洋学という切り口から、古今東西の歴史と文化を紹介しています。これからも当館の取り組みが、ミュージアムにかかわる皆さまにとって自分とは異なる価値観を受け入れるきっかけとなり、それによって社会により多くの安心が生まれることをお祈りしています。

それではまたいつかお会いする日まで!今まで本当にありがとうございました!!

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