古墳に卑弥呼は眠っている…!?

どうも、クラシックと古墳でおなじみ(?)のはなこです。
今日は…!古墳について続編を書いていこうと思います!

みなさん、卑弥呼はご存知ですよね。そうです、弥生時代に邪馬台国を治めた女王といわれるあのお方です。
「え?卑弥呼って弥生時代の人なのに、古墳とか関係あるの?」

って思いますよね!!私は思いました!!

従来、古墳は5世紀頃から作られるようになったと言われていましたが、その後の研究で、古墳の成立は3世紀半ばごろにさかのぼるということが分かってきました。

古墳には三角縁神獣鏡が副葬されるのですが、ある古墳で景初三年(239年)の銘が入った鏡が出土されました。

歴史マニアの方はここで気づくかもしれませんが、景初三年には卑弥呼が難升目を魏に使いを送り、金印紫綬と銅鏡百枚を賜ったという出来事がありました。

このことから、卑弥呼と古墳には何か深いつながりがあるのではないかと考えられます。

また、奈良県桜井市にある箸墓古墳は古墳成立期の中でも特に巨大な古墳で、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と伝えられています。倭迹迹日百襲姫命は神がかり的な存在と伝えられ、これを卑弥呼と比定する研究者もいます。

古墳成立期が卑弥呼のいた時代である3世紀半ばに修正されたこと、銅鏡百枚のゆくえを踏まえ、箸墓古墳を卑弥呼の墓と断定するのは時期尚早かもしれませんが、初期の古墳に埋葬された可能性が高くなってきました。

なんだか堅苦しくなってしまいました…(笑)
卒論を書いていくうちに邪馬台国と古墳の関係性まで少し見えてきて、最近は卒論執筆が楽しくなってきています(笑)
卒論提出まで残り1ヵ月ほどですが、満足のいくものに仕上げられるよう頑張る所存です!

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