悪の凡庸さについて

こんにちは。おゆみです。
猛暑が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

わたくしはと申しますと、この酷い暑さにかこつけて、
1日1アイス、しっかり元気に食べております。はい。

くれぐれも、熱中症には注意して過ごしましょうね。

先日、ある映画を観ました。それは、「ゲッペルスと私」です。

このブログに書くには、内容が重すぎるような気もしますし、
簡単に感想をまとめられるような映画ではないと思いますが…

わたくしなりに、感じたことを少しだけ書かせていただき、
あまりネタバレになるようなことは書かにようにします。

この映画は、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの秘書だった
ブリュンヒルデ・ポムゼルさんが、終戦からずっと守ってきた
沈黙を破り、撮影当時103歳にして初めてインタビューに応じた
ドキュメンタリーです。

ポムゼルさんは、有能なタイピストであり、どこにでもいる
平凡で幸せな女性でした。
彼女がナチスへ入党したのも、放送局への就職に役に立つから
という理由で、特別な政治思想を持っていたわけではありません。

彼女は、ごく当たり前の日常生活を送り、何も知らなかった
「私に罪があるとは思わない」と主張します。

その主張に最初はびっくりしましたが、話を聞いているうちに
私には彼女を糾弾することができないと感じました。

彼女は、今の若い人たちが、私なら「ナチスに協力しなかった」
とか「困窮しているユダヤ人を助けた」という主張をするけれど、
それは無理で、それは誰にもできなかったのだと言い切ります。

そして、「私に罪があるとすれば、ドイツ国民全員に罪がある」
と語っていました。

もし私が、あの時代に、あのドイツを生きる一般市民だったら、
彼女と違う道を歩めたとはとても思えません。

彼女のようなごく普通の人々が動員されたことで、全体主義国家が
生み出されたのだと考えると、「ドイツ全体が強制収容所だった」と
語る彼女の話を、決して他人事として考えてはいけないと思いました。

目先の生活・社会の充実に関心が向きがちではありますが、
よく考えること、そして考え続けることの大切さを改めて感じました。

内容の薄い幼稚な感想文になってしまい…失礼致しました。

それでは、今週末も東洋文庫ミュージアムへの皆さまのお越しを
お待ち致しております。

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