『我は死なり我は破壊者なり』
たしか原爆の父であるオッペンハイマーはこんな言葉を開発の後悔と共に遺しています。
嫉妬の神に魅入られた彼は、その後アメリカから追われる存在に。
はじめは世界に使うことのできない兵器を見せて戦争を無意味にしようと考えていた彼。
和平のことなどまだ、念頭になかった日本の快進撃は1942年以降徐々に劣勢に。
既にそのころには原爆開発はマンハッタン計画という形で進められ、
レールに乗ったこのプロジェクトは1945年に完成してしまいます。
なぜ終戦前に開発が間に合ってしまったのか。
未だにその後の惨劇を思うとき慙愧に堪えず。
浦上天主堂も既に記憶と共に崩され久しいですが
73年前の今日のあらゆる痛みに、合掌。