アイヌモシリへ。

こんにちは、散歩が趣味のMAはるまきです。
2週間ぶりに研究室の調査から帰ってきたら、色々と変わっていて驚きました〜!
①お世話になったMAさんたちが何名か退職なさっていました。
(みなさまどうかお元気で!!!)
②制服のポシェットが新調されて可愛くなっていました。
(受付や展示室のMAのカバンに注目!)

さて、今年の夏は予定がぎちぎちで、最終からは北海道へ行く予定です。
はるまきは野田サトル先生による漫画『ゴールデンカムイ』の大ファンなので、北海道は憧れの地なのです…。

北海道といえば「開拓」のイメージで語られますが、「開拓」される以前、果たしてそこには何もなかったのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
そこには、アイヌの人々が生きた「アイヌモシリ=人間の静かな大地」が広がっていたのです。

アイヌとは、現在では日本の先住民族であるアイヌ民族の人々のことを指しますが、本来は「人間」という意味の言葉です。
彼らは樺太南部・千島列島から本州北部にわたって暮らし、それぞれ「樺太アイヌ」「千島アイヌ」「北海道アイヌ」として少しづつ異なる豊かな文化を営んできました。
彼らは自らを取りまく自然環境を「カムイ=神」としてとらえ、人間と自然のかかわりを神とのかかわりに置き換えて考えることで、自然との共存を可能にしてきました。
(アイヌの考え方や生活史に関心のある方は、是非『ゴールデンカムイ』をご一読下さい…是非……是非)

そんなアイヌモシリが一変したのは、北海道が近代国家としての日本に編入されてからのこと。
明治二年(1869)には、和人によって蝦夷地と呼ばれていた名称が北海道と改められ、北海道開拓史が設置されました。
以後、北海道は対ロシア政策要の地として日本政府によって積極的に「開拓」されていきました。

しかしながら、「開拓」はあくまで和人目線の出来事。
アイヌの人々にとってそれは伝統の破壊と生活の場の喪失に他ならなかったのです。
日本政府によるアイヌへの差別・搾取は、長く様々な形で表出してきました。

その最たるものが二風谷ダム訴訟事件。
平取町二風谷地区はアイヌの人々が聖地として大切にしてきた場所でしたが、平成9年(1997)、国土交通省によってダムが建設されてしまいます。
そして、萱野茂氏・貝澤正氏がアイヌ民族として国を相手に訴訟を起こしたのです。

裁判の結果、すでに出来上がっていたダムが取り壊されることはありませんでしたが、このとき初めてアイヌを日本の先住民族として認める判決が出されました。
このことは日本という国が多様なルーツを持つ人々の存在を認め、ともに歩んでゆくための大きな一歩であったと言えるでしょう。

上のような事件を経て、二風谷には二風谷アイヌ文化博物館や沙流川博物館など、アイヌ文化の継承を促す施設が作られました。
2020年4月には、白老に国立アイヌ民族博物館が開館するとか。
ミュージアムが、多様なルーツを持つ人々の相互理解と共生の場としてよい役割を果たしてくれることを期待したいですね…!

いざ、アイヌモシリへ!!!
※これだけ二風谷について色々と書いておきながら、主に見るのは函館と札幌です(笑)

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