新たなアジア研究に向けて8号
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総合アジア圏域研究渉にタッチしていない)が、金日成の党内掌握は強まったとみた。彭を含めた中国のイメージも平壌では悪かった。 こうした中、東欧反乱がおき、中ソは北朝鮮より大きな共産党権力崩壊の危機に対応せざるを得なくなった。こうして金日成はかろうじて生き延びた。さらにはモスクワで1957年フルシチョフ追い落とし工作の反党事件が失敗、かわってフルシチョフはモロトフからブルガーニンまで幹部会員を反党分子として追放、翌年フルシチョフは首相を兼務、この段階で金日成の「個人崇拝」を批判するソ連側の理論的根拠も、平壌での影響力同様に奪われるのである。第2セッション 「大衆・集団・国家」現代中国の民間書簡の特徴とその研究方法についての初歩的検討張 楽天(復旦大学教授)一、現代中国の社会生活に関する資料の収集 「解放」以後、中国農村は農業集団化の道を歩み、数億の農民の生産と分配にいずれも詳細な記録が必要となった。他方では、中国でひとたび政治運動が展開されるごとに、調査や自白に関する大量の文字資料が残された。そのため中国は民間資料を最も多く生み出した国家となった。しかし、さまざまな原因によって、民衆の実践を真に反映した社会生活に関する資料は収集されてこず、学術研究に利用されることもなかった。 改革開放以来、人民公社の解体、経済社会の急速な発展にしたがって、大量の社会生活資料が廃棄され、製紙工場に送られた。 私は1988年から農村資料の収集を開始し、主に浙北の聯民村とその周辺地区の資料を集中的に収集してきた。現在把握している情報によれば、私が収集している浙北の聯民村の資料は一つの村に関する最も完全・全面的・豊富な資料である。すでに『張楽天聯民村データベース』を作成し、社会科学文献出版社から出版した。 2010年、私は復旦大学上層部に「資料救出」という課題を提出し、全国規模で「民間に流出した全ての手書き資料と非公式資料」を収集することを提案した。この提案は大学上層部の大きな支持を得た。2011年、復旦大学は正式に復旦発展研究院現代中国社会生活資料センターを成立させた。 資料収集は困難な作業である。私たちはさまざまなルートを通じた社会からの資料収集を模索し、社会における資料の種類や分布状況を徐々に明らかにした。数年間の努力を経て、復旦発展研究院現代中国社会生活資料センターは膨大な量の社会生活資料を収集した。二、復旦発展研究院現代中国社会生活資料センターが収集した資料の紹介 いわゆる「社会生活資料」には、末端政府、企業・事業団体その他の「単位」〔機関〕が作成した資料のうち正式な案システムに収められず社会に流出したものや、家庭や個人の書いた資料が含まれる。これらの資料は非常に具体的で、細かい事柄に関する記載に満ち、人々の日常の行動に直接関わっている。しかも90%以上が手書きで、中国人の社会生活の実践を理解するための得難い資料である。 この6年間、私たちが収集してきたものには上海、江蘇、安徽、江西、湖北、湖南、四川などの省・市の101

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