MODERN ASIAN STUDIES REVIEW Vol.9
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Inter-Asia Research Networks つまり,モリソンは,古書と近代書と問わず,同じ方針,つまり,中国に重点を置き,東北アジアと東南アジアを両翼に据えて,アジア情勢を見てゆくと言う姿勢を貫いていると言える。古書を集めるにしても,近代とのつながりを重視していたと思われる。西アジアやオリエントを無視していることも,その反映であろう。Ⅲ.モリソン古籍洋書の刊行年・刊行地 中国や日本の古書では,刊行年や刊行地を記していないものが多く,1,000点ぐらいの書籍では,統計的な分析は不可能であるが,モリソンの古書は,ほとんどが刊行年と刊行地を記している。このため,この1,000点だけで,ある程度の統計的考察が可能である。欧米人は,東洋人に比べて,時間や空間における,事物の座標軸的な特定に優れていると言える。以下,これを僥倖として,モリソン古書の成書時期と刊行地に関し,統計的な俯瞰を試みたい。 貴重洋書に分類されているモリソン蔵書は,マルコポーロ,マンデヴィルの2種の書籍だけで,しかも数が多くないので,ヨーロッパ全体のアジア関係書の刊行地の分布傾向を統計的に論ずるには,適当でない。ただ,1454年ごろ,Gutenbergが活字印刷を発明してから,ドイツの職人たちがこの印刷業を独占し,諸国の都市に工房を開き,また既存の工房を遍歴しながら活躍したと言われる。文庫所蔵のMarco Poloの東方見聞録31種についてみても,北部ドイツのBrandenburg,中部ドイツのLeipzig,イタリアのVenetiaなど,いずれもドイツ人の印刷工による刊行である。AmsterdamやParisは,かなり遅れる。 Mandevilleの旅行記12種についても,刊行地は,Venetia,Bologna,Milanoなどイタリア各地と,オランダのAnvers,それにイギリスのLondonの3国で占められる。 資料が少なすぎて,断定はしかねるが,この地中海航海時代の印刷は,おおむねイタリアとこれに連接するドイツ,神聖ローマ帝国に集中していたと推定できようか。 (1)16世紀古書の刊行地 次に16世紀の初頭,所謂大航海時代に入って,従来の陸上旅行と異なり,喜望峰を回って海路,インド,東南アジア,中国などへの渡航が可能となって,アジア関係書籍も増加したはずである。アジア関係書籍の刊行にも,これにともなう変化も多少見えてくる。第3図 Morrison文庫書籍地域別分布表049

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