コレクション

モリソン文庫

G. E. モリソン(George Ernest Morrison 1862-1920)が北京駐在中のおよそ20年間に収集したもの。中国を中心として、パンフレット類約6,000種を含む欧文図書24,000冊、地図版画約1,000点、定期刊行物120種余り。特に重要なものとして、マルコ・ポーロ『東方見聞録』の各種刊本約50種、中国地方語辞書500冊、日露戦争資料約300冊、各国の中央アジア探検隊の調査報告等が含まれている。
モリソンが北京を去るに当たって、1917年に岩崎久彌が上記の資料群を買い取り、日本に移入した。
東洋文庫のサイトから検索が可能(モリソン文庫図書/モリソン文庫分類検索)。

岩崎文庫

岩崎彌太郎の長男である、岩崎久彌(いわさき・ひさや 1865-1955)旧蔵の和漢書37,833冊。漢籍のほか、『日本書紀』以来の日本史、日本文学研究の貴重書が多く含まれている。なお、古鈔本(古写本)、五山版、古刊本のほか、新井白石、小野蘭山、木村正辞など諸家の旧蔵あるいは手鈔本(手写本)など書誌学上の重要文献も多い。江戸時代の文学、演劇、美術、地理等に関する資料を含む、貴重多彩なコレクション。
『岩崎文庫和漢書目録』(1934)あり。 東洋文庫のサイトから、一部資料のデジタル画像 の閲覧や検索が可能。

前間恭作旧蔵朝鮮古籍

朝鮮語学者であった前間恭作(まえま・きょうさく1868-1941)の旧蔵書、自身で在山楼と名付けた。822部、2,310余冊、ほかに古地図、拓本がある。前間自身がその愛蔵書について記した解題や文章の中からの書誌事項の抜粋、更に諸書目からの引用から成る『古鮮冊譜』(I.1944,II.1956,III.1957,東洋文庫刊)は貴重な労作である。
東洋文庫の開設にあたって、1924年3月に一度目の寄贈があった。さらに、前間の逝去後、1942年に遺族から、前回の寄贈の後に蒐集された本の寄贈を受けた。

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藤田文庫:藤田豊八博士旧蔵和漢書

東洋史学者の藤田豊八(ふじた・とよはち 1869-1929)旧蔵の和漢書1,765部、21,669冊。歴史関係のものが特に優れ、なかでも宋版明補刻本の『魏書』64冊、『元刊本貞観政要』4冊、『明刊本東夷考略』などは稀覯本。
藤田は西域、南海交渉史を専門に研究し、台北帝国大学文政学部長を務めた。上記の資料は、1897年から15年ほど中国に滞在している間に収集されたとみられる。東洋文庫へは、1930年に遺言によって寄贈された。
『藤田文庫目録』(1930)あり。

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順天時報・華北正報

順天時報  
日本の民間外交団体である東亜同文会が創刊した中国語の
新聞。名前の由来は北京(順天府)から。 1901年末ごろ中島真雄氏(1859-1943)が主催。その後日本公使館が引継ぎ、日本外務省の資金援助を受け、中国での機関報となる。

華北正報 (The North China Standard)
「順天時報」と同じく日本の外務省が北京で発行した英字版の新聞

東洋文庫所蔵資料について
1930年3月末日を以て順天時報社が閉鎖されるのを機として、在北京の順天時報社社長の渡辺哲信(わたなべ・てっしん 1874-1957)から、 外務省と東洋文庫に「順天時報」743号~9285号(1905年8月17号-1930年3月27号)の計250冊、および 「華北正報(The North China Standard)」創刊号~廃刊号(1919年12月1日-1930年3月26日号)計124冊が1セットずつ寄贈された。

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永田安吉旧蔵安南本

外交官の永田安吉(ながた・やすきち 1888-?)旧蔵の安南本(現ベトナム中部で発行された古い書籍)103部、695冊。漢籍が中心であり、ベトナム古典籍のコレクションとしては有数の規模である。
永田はハノイ総領事を務めた人物。フランス領インドシナ事情など、歴史に造詣が深いことで知られる。1934年に東洋文庫に寄贈された。

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シーボルト関係文書

江戸時代にオランダ商館付きの医師として日本を訪れた、ドイツ人医師シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 1796-1866)に関連する文書258冊。
1934 年、東京帝国大学教授を務めた内科医で日独文化協会理事の入沢達吉(いりさわ・たつきち 1865-1938)が、在ベルリンの日本学会から所蔵する上記の文書を借り受け、1935 年に上野の帝室博物館(現・東京国立博物館)で一般公開した。その際、およそ2 年をかけて作成された複写300余点(約1万枚)が東洋文庫へ寄贈された。

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井上準之助旧蔵和漢洋書

日銀総裁や大蔵大臣、東洋文庫初代理事長を務めた、井上準之助(いのうえ・じゅんのすけ 1869-1932)旧蔵の和漢洋中の書籍1,610 部、4,862 冊。一般経済史に関する学術図書が中心であり、洋書のなかには財界・経済界の雑誌などが含まれる。
1936 年に遺族の申し出により、東洋文庫に寄贈された。近年も遺族の申し出があり、2003 年に洋書21 部、2005 年に洋書28 部が新たに寄贈された。

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小田切文庫:
小田切萬壽之助旧蔵和漢書

外交官や銀行家として知られ、東洋文庫初代監事を務めた、小田切萬壽之助(おだぎり・ますのすけ 1868-1934)旧蔵の和漢洋書。
1934年の逝去の後、1936年に子の武林氏(たけしげ1897-1965)から東洋文庫へ漢籍1,254部、17,643冊、和書454部、1,830冊、洋書4部、4冊、計約20,000冊の寄贈を受けた。目録に『小田切文庫目録』がある。

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ラフカディオ・ハーン、
B.H.チェンバレン往復書簡類

小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn 1850-1904)とバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall
Chamberlain 1850-1935)の自筆往復書簡計191 通。ハーンは記者や英語教師として日本に在住、後に帰化し、日本文化の発信に寄与した。チェンバレンは日本語学の研究者である。
1936 年と1937 年、財団法人原田積善会の助成と同会顧問上田萬年(うえだ・かずとし 1866-1937)の斡旋および佐々木信綱(ささき・のぶつな 1872-1963)の尽力により、蒐集した。なお、東洋文庫はチェンバレン旧蔵書の36部41 冊を1944 年に別途購入し、岩崎文庫へ編入している。

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上田萬年博士旧蔵書

言語学者・国語学者の上田萬年(うえだ・かずとし1866-1937)旧蔵の和洋書26部、159冊。北延叙『歴検真図』(樺太実測図)93軸、B.H.チェンバレン著のKo-Ji-Ki(古事記の訳本)などが含まれている。
上田は、帝国大学文科大学において近代日本学・国語国文
学を専門に研究した。また、財団法人原田積善会顧問、東洋文庫の創立期リーダーの一人で理事を務めた。日本古典の研究と海外への紹介で有名なB.H.チェンバレンに師事し、ラフカディオ・ハーンとチェンバレンの往復自筆書簡の蒐集にも関わっている。1938年に鶴子夫人と子の寿氏より、蔵書の中から上記の書籍が東洋文庫に寄贈された。

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河口慧海将来のチベット大蔵経典

僧侶・探検家の河口慧海(かわぐち・えかい 1866-1945)
旧蔵の文書。
河口は、仏法を求めて1901 年と1914 年の2 度にわたりチベットを探検し、チベット大蔵経を持ち帰った。1940 年、サンスクリット文書の一部、および数種の版を異にするチベット大蔵経典の大半の部分を東洋文庫に寄贈した。1931年に購入済のデルゲ版と1936 年に購入済のナルタン版とあわせて、東洋文庫はチベット経典について世界有数の特別コレクションを有することになった。

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鈴江萬太郎旧蔵書

大日本帝国陸軍士官の鈴江萬太郞 (すずえ・まんたろう1886 頃?-1929?)旧蔵の、モンゴル語をはじめ洋書、和書、漢籍など370冊。
鈴江は、日本のシベリア干渉軍の一員としてシベリアに赴き、シベリア・モンゴルにおいて情報収集活動を行った。
特に「大モンゴル国」運動に関与し、当時の重要なモンゴル人知識人と交友した。また、モンゴル語辞典『蒙古語大字典』(『蒙古語大字彙』)の編纂を行った。没後に蔵書のうち、上記の書籍が東洋文庫に寄贈された。

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幣原坦旧蔵朝鮮本

東洋史学者であり、教育行政官を務めた、幣原坦(しではら・たいら 1870-1953)旧蔵の朝鮮古籍334部。
1928年、台北帝国大学初代総長。1946年に枢密院顧問官に親任。外交家・政治家の次弟・幣原喜重郎(1873-1951)は6代目東洋文庫理事長。日本史、琉球史、台湾史、朝鮮史に兼通し、日本における朝鮮史研究の草分けである。1941年、韓国政府学参与官在任の時に形成した上記の朝鮮古籍が東洋文庫に寄贈された。

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松村太郎旧蔵近代中国関係書・雑誌

大分県出身のジャーナリストであった、松村太郎 (まつむら・たろう ?-1944)の旧蔵の近代中国関係書・雑誌(中文・日文)数千冊。
『順天時報』や『国民新聞』紙の記者として北京に民国初期より数十年間滞在しており、現地で書店を経営しながら書籍を収集した。東洋文庫の設立当初に各種の漢籍の叢書、地方誌、族譜、明実録等を収集するにあたって、協力した。1940年に帰郷し、1943年にその蔵書を東洋文庫へ寄贈。

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旧近代中国研究委員会収集和漢洋書

東洋文庫研究部内の東アジア研究部門に所属する、近代中国研究班(旧・近代中国研究委員会)が収集した、アヘン戦争以降の近代中国に関する図書および逐次刊行物。
1950年代以降に市古宙三らが中心となって、ロックフェラー財団らによる助成をもとに、近代中国研究の基礎となる関係資料を収集した。日本語資料を中心にデジタル化し、現在インターネット上で公開している。デジタル化した資料は、アジア歴史資料センター、およびToyo BunkoOpacからも検索可能。

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藤井尚久旧蔵近世日本医書

医史学者の藤井尚久(ふじい・なおひさ 1894-1967)旧蔵の和漢洋医学書、約1800部。『解体新書』の初版本や『ターヘルアナトミア』が含まれる。1957年に東洋文庫が受贈。
藤井は東京医科大学教授であり、日本の医学文化の史的研
究に努めた。著書に『明治前本邦内科史』等。
東洋文庫のサイトから検索可能(藤井文庫(医学書))。
古籍が東洋文庫に寄贈された。

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開国百年記念文化事業会収集
近代日本関係文献

明治史の編纂を目的として立ち上げられた、開国百年記念文化事業会の収集による近代日本関係文献。和書4,000部、7,000 冊。主に明治時代に関する文献であり、特に伝記類は網羅的に収集されている。1959年に東洋文庫に寄贈された。同事業会には、東洋史学者の羽田亨や日本史学者の大久保利謙らが参加した。『東洋文庫所蔵近代日本関係文献分類目録 和書・マイクロフィルムの部 第1~第3』(1961-1963)あり。

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松田嘉久タイ語コレクション

タイ在住の実業家である松田嘉久(まつだ・よしひさ)による寄贈本。1960年代に寄付金(当時のタイ貨10万バーツ相当)を受け、その資金で東洋文庫によって購入された。
製本冊数約1,000冊。タイ政府関係者、チャラット(Charas Pikul)氏旧蔵本、タイ国法律集成、葬式頒布本(Cremation volume)、Kurusapha(文部省外郭組織)刊行の叢書、一般新刊書から構成される。文学・史学・宗教・政治・伝記・旅行記・語学等の多分野に渡っているが、特に文学・史学が多い。

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梅原末治旧蔵日本アジア考古学資料、
和漢洋書

考古学者の梅原末治 (うめはら・すえじ 1893-1983)旧蔵の図書資料2,500冊および考古学資料。1964年に東洋文庫が受贈。
梅原は大阪府南河内郡古市村出身で、京都大学教授を務めた。特にアジア青銅器の研究を進め、東洋考古学の基礎を確立。著書に『銅鐸の研究』等。他の旧蔵書の中で、西欧考古学関係を主とする和書35冊、洋書1,669冊は東北大学付属図書館が収蔵。

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藤田豊三郎旧蔵詩文集

造酒家の藤田豊三郎 (ふじた・とよさぶろう 1883-1956)旧蔵の清朝詩文集73部。1965年に遺族から受贈。
藤田は青森県弘前出身。漢詩文を好み、家業を助ける傍ら独学で作詩法を学ぶ。無類の愛書家で、ことに清朝人の詩を好む。号は巖嶺。津島修治(太宰治)の親戚であり、邸宅は旧藤田家住宅(太宰治まなびの家)として保存されている。

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河口文庫

蘭方医で解剖学者の河口信任(かわぐち・のぶただ 1736-1811)旧蔵の和本・蘭方医書133 部。1965 年に、信任の子孫から東洋文庫に寄贈された。
河口は肥前唐津(現・佐賀県唐津)出身。祖父以来,唐津藩主土井家の藩医を務め、土井利里(どい・としさと1722-1777)の移封に従い、下総古河(現・茨城県古河市)に移った。利里が京都所司代となると今度は京都に移り、荻野元凱(おぎの・げんがい 1737-1806)に入門し、師とともに刑死体を解剖した。1772 年に、日本では2 番目となる解剖書『解屍編』を出版した。

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辻文庫

サンスクリット学者の辻直四郎 (つじ・なおしろう 1899-1979)旧蔵の書籍1万2,000点。インド語学・文学に関連する書籍で構成される。1979年の逝去の後、東洋文庫が購入した。
辻は古代インド研究に貢献し、東洋文庫8代目理事長を務めた。著書に『ヴェーダ学論集』『サンスクリット文法』『サンスクリット文学史』等。
東洋文庫のサイトから検索可能(辻文庫(サンスクリット))。

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岩見文庫

イスラーム史家の岩見隆(いわみ・たかし 1940-2017)
旧蔵のイスラーム関係図書。1300点のペルシア語資料、700点のアラビア語資料、450点の欧文諸語文献で構成される。主として19世紀に刊行された、石版刷の貴重書60点を含む。1989年に東洋文庫に寄贈された。
岩見は、慶應義塾大学で井筒俊彦(いづつ・としひこ 1914-1993)の教えを受けたことでも知られる。

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ベラルデ文庫

フィリピンで宣教をした、ベラルデ家旧蔵のフィリピン関係資料478冊。16-20世紀フィリピンを中心とする東南アジア諸地方の社会、歴史、宗教、経済、文学、民俗など広範囲にわたるコレクション。大半がスペイン語だが、少数ながら英語、ラテン語、イタリア語、フランス語、ポルトガル語の文献を含む。東洋文庫4代目理事長・白鳥庫吉(しらとり・くらきち 1865-1942)の孫である、白鳥芳郎(しらとり・よしろう 1918-1998)によって、1989年に東洋文庫に寄贈された。『べラルデ文庫目録』(1993)あり。

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モリソン二世文庫

G.E.モリソンの次男アラスター・モリソン(Alastair Morrison 1915-2009)夫婦が収集した、東南アジア関係の洋書3,329部。ボルネオに関する文献が全体の3分の1を占めるなど、ボルネオに特化したコレクションとして日本国内において貴重なものである。地理や歴史、民族誌、宗教学など、幅広い資料から構成されている。1989年に東洋文庫が購入した。『モリソン2世文庫目録』(2000)あり。

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荻原文庫

東洋史学者の荻原弘明(おぎわら・ひろあき 1921-1987)旧蔵のビルマ(ミャンマー)史・ビルマ語関連資料。ビルマ語文献612件および、欧文文献約400件。ビルマ語文献は、1940年代から1960年代にかけて出版されたものが主である。東洋文庫が購入した。『東洋文庫所蔵荻原文庫目録』(1993)あり。
荻原はビルマ史研究の先駆けとして知られ、鹿児島大学で長年教鞭をとった。

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榎文庫

東洋史学者の榎一雄(えのき・かずお 1913-1989)旧蔵の和漢洋書約30,000冊。榎が専門に研究していた、中央アジアに関連する文献が中心である。1990年に東洋文庫が受贈。
榎は、東京帝国大学在学時に白鳥庫吉に師事し、東洋文庫では文庫長や9代目理事長を務め、文庫の所蔵品の拡充に寄与した。
『榎一雄文庫分類目録:欧文編/和文・漢文編』(1999)あり。東洋文庫のサイトから検索可能(榎文庫/榎文庫分類
検索)。

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護雅夫氏旧蔵内陸アジア史料

東洋史学者の護雅夫(もり・まさお 1921-1996)旧蔵の洋書、トルコ語などの研究書約700冊。1997年に遺族から東洋文庫に寄贈。
護はトルコ民族史・内陸アジア史研究で知られる。東洋文庫では理事を務めた。

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山本文庫

東洋史学者の山本達郎(やまもと・たつろう 1910-2001)旧蔵の欧文の貴重書、安南本、和漢書約18,000 冊。東南アジアを中心に、広くアジア史に関わる資料から構成され
る。遺志により、2001 年に東洋文庫に寄贈された。
『山本達郎博士寄贈書目録』あり。東洋文庫のサイトから検索可能(山本達郎博士寄贈書資料検索)。
山本は東南アジア史研究で知られる。東洋文庫では評議員や理事を務めた。

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コルディエ文庫

近代フランス中国学の祖とされる、東洋学者アンリ・コルディエ(Henri Cordier 1849-1925)旧蔵の洋書約5,000冊。15世紀に活版で刷られた本(インキュナブラ)が含まれている。内容は、地理・天文・歴史・文学など多岐にわたる。
2019年に、永青文庫により東洋文庫に寄託された。永青文庫は、東洋文庫の7代目理事長を務めた細川護立(ほそかわ・もりたつ 1883-1970)によって設立されており、東洋文庫と縁深い。護立の孫にあたる細川護熙(ほそかわ・もりひろ 1938-)永青文庫理事長の仲立ちにより、永青文庫が1973 年からコルディエ文庫を寄託していた、慶應義塾大学斯道文庫(しどうぶんこ)から東洋文庫への移管が実現した。

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