歴史

文庫開設に向けて準備中の人々

歴史

東洋文庫は、日本最古で最大の東洋学の研究図書館です。1924年(大正13年)に三菱3代目社長の岩崎久彌によって創設されました。国際的にも、大英図書館、フランス国立図書館の各東洋部門、ロシア科学アカデミー東洋写本研究所、ハーバード・エンチン図書館と並んで、東洋学五大研究図書館の1つに数えられています。
東洋文庫の蔵書総数は約100万冊に上り、国宝5 点と重要文化財7 点が含まれます。言語別の内訳は、漢籍40 %、洋書30 %、和書20%、他アジア諸語10%(韓国語・ベトナム語・タイ語・チベット語・ペルシア語・トルコ語・アラビア語等)となります。地域的にみると、日本を含めたアジア全域(東アジア・東南アジア・オセアニア・南アジア・中央アジア・西アジア)と北アフリカのイスラーム圏を広く包含しています。
東洋文庫の蔵書は、多種多様な学問領域にまたがるコレクションの集積です。それぞれのコレクションの成り立ちは、東洋文庫の創立以来100年に及ぶ研究活動と密接な関係を有しています。コレクションのページでは、より詳しい解説がご覧いただけます。

初代(1924年竣工)の本館・書庫

建物

東洋文庫の建物は現在に至るまで、4回の建て替えを経ています。
初代(1924年竣工)の本館・書庫は、ジョサイア・コンドルの弟子で三菱地所技師長でもあった建築家、桜井小太郎が設計しました。「堅牢・清楚」がコンセプトで、外壁には上部に茶褐色、下部にチョコレート色の瓦が貼り付けられていました。
1932年と1969年の建て替えでは書庫等が増設されました。厚生用のバレーコートが存在し、文庫職員に憩いの場として親しまれていた時期もあります。一方、1983年の建て替えでは、文庫の財政難を背景に一部の敷地が売却され、新館と特別書庫を残して大幅に再編されました。
現在の建物は2011年に竣工しました。三菱地所設計が設計を担い、「本、知、東洋」がコンセプトです。ミュージアムに代表される普及機能、研究機能、貴重資料の保存機能を兼ね備えた構造が特徴的です。お立ち寄りの際には、工夫が凝らされた外壁や内装、植栽のデザインもお楽しみください。

蒸気消毒室

設備

東洋文庫は、創立時に当時最新の技術を使用した各種設備を備えていました。以下では、1920~30年代に運用されていた設備をご紹介します。(東洋文庫15年史より)

写真室

写真室内は壁面にクリーム色の塗料を使用、通常暗室に用いられる黒色の壁材とは異なった特色を持っていた。

1937年には書籍の複写の為のマイクロフィルム複写機が導入される。パストゥール研究所所属のアサートン・ザイデル(Atherton Seidell)氏が開発し縁あって寄贈された。

製本室

洋装本・雑誌類を製本するための設備を備えていた。

表装室

和漢書の帙の作成や、地図や絵画、拓本類の裏打ち作業などが行われていた。

12畳の畳敷きで、職人を招いて作業が行われていた。

蒸気消毒室

東洋文庫で購入された古い和漢書は、例外を除いて蒸気消毒器による殺虫工程を経て所蔵されていた。

ガス消毒室

蒸気消毒を施す必要の無い資料に関しては、ガス消毒を用いていた。ホルマリンとアンモニアを用いて燻蒸を行っていた。

暖房室

イギリス製の石炭ボイラーを備え付けており、毎年11月上旬から翌年4月中旬まで稼働していた。

屋上曝書室

屋上に全面が網入りガラスで覆われた鉄骨組の建物を設置、秋季に和漢書の一部を虫干しするために使用されていた。

昇降機(エレベーター)

竣工当初は書籍専用のリフトを備え付けており、各階書庫から1階閲覧室の間を移動していたが、増築の際に係員も乗り込むことができるものを設置した。